歴史:満州族の清朝が300年近く漢民族を支配出来た理由
清朝は満州族のヌルハチが明朝を倒し、300年近い支配を続けた征服王朝です。
清国はラストエンペラーでお馴染み。
※現時点の知識に基づいた脳内の整理を主目的としてる為、事実と異なってる可能性、現在の説とは異なる可能性もあります。
推定300万人しか居なかった満州族が300年近く支配出来た理由
いくつか考えられますが、征服についてではなく長年に渡って異民族の満州族が支配出来た理由として考えられるのは、支配の仕方がうまかったという一点に尽きると思います。圧倒的多数の漢民族の上位に満州族が居るとあまり感じさせず、うまく支配していたと思います。
良かった点として考えられるもの
・漢民族の文化を尊重
科挙といった制度や文字、単位等に関して、大体そのまま使用した事。
・満漢偶数官制
結局のところこれが一番大きかったのではないかと思います。
朝廷に満州人と漢人を同数登用していた事。
これによって北方の野蛮人に支配されているという意識は薄れてたのではないかと思います。また、実際は北京の様な北方以外はそこまで満州族の国という感じではなかったのではないかと思います。
・漢民族と満州族の婚姻禁止
北方は古来より異民族が支配する事が多く、元から住んでいた民族を南方に押しやってきたので、漢民族という概念が出来てからも度々、異民族に支配されてます。
ですが、長い目で観ると漢民族化してしまった民族も多い為、それを防ぐ為の措置だと思いますが、これも良かったと思います。
・辮髪を強要することで満州族の国であると意識付け
漢民族に強いた事は、清朝は満州族の国と明確化するべく、満州族の風習辮髪を強要。
・満州語、満州文字の使用制限
科挙に合格した官僚以外は満州文字を学ぶ事を禁じました。
当初こそ満州文字と漢字の併記だったそうですが、次第に都市部を中心に漢字が用いられる様になっていったようです。
この制限自体にどういう理由があるかはわかりませんが、庶民に知識を与えないといった思想があったのかな。
征服できた理由
ヌルハチ、ホンタイジとその側近が有能だったのと、後継者を指名しなかったヌルハチの死後、第8子のホンタイジがうまく後を継げたというのも大きかったと思います。1〜2代で崩壊というのはとても多いです。あとは時節とタイミング。
・建国初期こそ困難が多い
新興国の王位や帝位継承はなかなか難しく、軍人や権力を持った外戚の反乱も多い為、例えば前漢の高祖や明の朱元璋が行った粛清は、軍事力を持った者の反乱の多さを考えると良かったのではないかと思えます。
例えば明の三代目皇帝永楽帝(朱元璋の四男)は、軍事的な功労者で朱元璋の息子だから粛清されなかった様なものですが、朱元璋の孫(早世した長男の息子)が二代目皇帝になった際、皇族の力を削ぐために行った粛清に反発した、燕王朱棣こと後の永楽帝が反乱を起こし勝利。
・軍事的に強い力を持つ部下、親族が後の脅威
そもそもこの皇族の力を削ぐ政策も主に燕王朱棣が最大のターゲットだった訳で、ここで粛清を行ってなければ素直に従っていたかどうかは不明ですが、結果として最大の軍事力を持ちしかも朱元璋の息子でもあった為、明を盤石の支配体制にする事が出来たといえます。
前漢も劉姓以外の粛清に続いて、呂氏や呉楚七国の乱も無事平定出来た為、盤石となったといえます。
建国に向けた勃興期、親しい仲間が要職に就いたり、皇太子の長男ではなく次男や三男、正嫡以外の息子たちを司令官として各地に派遣といった事はよくある話です。
そこで、各地を転戦して軍功を上げた司令官は兵士や民衆人気も高くなりがちなので、そういった人達の反乱が多いのも納得といえば納得。